ジュリア・キャメロン『あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから』レビュー

あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから

あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから

  • 作者: ジュリアキャメロン,Julia Cameron,矢鋪紀子
  • 出版社/メーカー: 風雲舎
  • 発売日: 2003/03/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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※書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」掲載レビューと同じです。

・100字レビュー

「書く人は誰もが作家」であり、どんなに書きたくない時にも時間がとれない場合にも、下手でも良いから常に自由に書き続けてさえいれば面白い文章を書くことができるようになるとする、逆説的かつ実践的な文章読本

・長文レビュー(2,849字)

著者はフィクション、エッセイ、映画・テレビ・演劇の脚本など、ジャンルを問わずあらゆる種類の文章の書き手として活躍してきた作家で、代表作『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(サンマーク出版)の原書は、アメリカで400万部のベストセラーになったと訳者あとがきにて説明されている。

そして「書く人は誰もが作家」だとする本書は1998年にアメリカで発刊され、2003年に日本語に翻訳された後、2011年9月に重版された。

そんな経緯から、読者に伝授される実践的なエクササイズにおいて、「短時間で行う手書きによるメモ」という手法が頻出されているけれど、スマホが普及した現在では、必ずしも「手書き」に拘る必要はないようにも思える。既に本書においても頻繁に「Eメール」を書くことの大切さは語られていた。

と思ったら「体を使う」という章で「手書きで書く方が良い」とされていて、滅多に手書きで文章を書かなくなった僕にとって、そこは判断に迷うところだ。しかし古来より作家が想像力を得るために行ってきた「散歩」の効用については、著者のいう「肉体的な言葉」を獲得するために重要なものかもしれない。

副題の「心の声に耳を澄ませる」というフレーズは「ハートで書く」ところから来ていて「Heart」という単語の中に「art(芸術)」と「ear(耳)」が含まれていることから、連想されたものだ。言葉遊び的な発想にも思えるが、書くことについて考えるに際して、面白い発見であるとも思った。単語を分解して考える手法は他にも多く散見される。

著者の考える作家像は自由な想像力を元にして常に書き続ける態度であり、学校の作文や論文では冷静かつ正しく簡潔に書く「完璧さ」が求められるが、そういった学習の弊害により、文章を書くことができなくなるのだという。

その一例として著者に寄せられた、自分とは好き嫌いの全く異なる教授に提出するための論文をどう書けばいいか、と悩む女学生に対して「教授の好みに合わせることなく好きなように書け」とアドバイスしたところ、皮肉を込めた本音の論文に仕上がり、教授を認めさせることになったという。

また教科書的な正しさや賢さと地続きになっている真面目な新聞を読むより、文章的には下手でも刺激的な記事を届けてくれるタブロイド紙の方が、著者にとっては自由な想像力を喚起させるために役立つとも書かれている。

なお本書にはフィクションを手がけることも多かった著者の特徴なのか、ふんだんな比喩を交えた文学的な情景描写がところどころに添えられていて、ハウツー本でありながらも小説を読んでいるかのような心地よさが感じられるが、そこにも学術的な正しさより自由な想像力を重視する著者の作法が見て取れる。

さらに「書く時間がない」だとか「書きたい事が思いつかない」というような、「書けない理由」は言い訳に過ぎず、むしろ時間もなく何も浮かばない時にこそ、あえて書くことによって、予想だにしない自分の書く力を発揮できるのだとする。

そして人は誰しも書くことによって思考し、想像力を高め、書くことに支えられてこそ、人らしく生きることができるという。だから何らかの目標を達成するために書くというより、とにかく書き始めることによって、人生の方向が開けるのだと。

そんな信念のもとに書き続け認められ続けてきたことから、プロの書き手に対しても手厳しい口添えをすることがあり、思いついた時にしか書きたくないという天才的な女性詩人にも、著者の手法を真似るよう伝えた所、仕方なく書いたはずのものが、後で見直すと素晴らしい出来だったりすると驚かれたという。

この「完璧さの呪縛から逃れることで書けるようになる」という考え方は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』冒頭にも記されていたことを思い出す。村上春樹は大学でアメリカ映画に関する卒論を書いていて、なおかつ多くのアメリカ作家の小説を読んでいたという点で、著者に通じるところがある。

また「常に書く、自由に書く」という「継続は力なり」的な方法論は、アメリカや言葉の繋がりから考えてみても、先日レビューを書いたばかりの楽天株式会社会長兼社長・三木谷浩史氏が「社内公用語の英語化」について語った『たかが英語!』(講談社)における理念にも重なるところを感じた。

各章の末尾に記された読者への実践的なエクササイズは43項目に渡り、15分あるいは30分といった短時間で、自分の好きな事や嫌いな事など、書くために必要な項目を、書きたくなくとも書くことが大切だと語る。

また著者自身の事例として、過去に夫と親友の女性が駆け落ちした際に、彼らへの復讐のために現実の出来事を中心にして作品を書いてみたところ、いつしか作中人物の言動は現実を離れ、物語も予想しなかった方向へ進み、その結果、著者は「苦しみの壁」を乗り越え、自らを癒す事ができたという。

他にも自らは文章を書くことのない編集者に原稿の大幅な朱筆を入れられた際、書くことに携わっていながら書く喜びを放棄してしまった編集者に対する憎しみから『みじめな人』と題する詩篇を書くことによって、怒りは憐れみへと姿を変え、受けた傷を芸術に昇華させることができたとする気性の激しさには痛く共感した。

自分自身が渦中にある問題についてはそのようにして乗り越えるしかないが、基本的には「周囲のいざこざは無視して、書くことに集中すべき」であり、例えば友人同士のケンカや世の中の動向に対しては冷たく中立的に振る舞うことで、自分が書きたいことというよりも、書かれたがっている言葉が出てくるのだともいう。

なおかつ書くことと読者に感心させようとすることを同時に行おうとすれば書けなくなり「自分のことは忘れなさい」という小説家ヘンリー・ミラーの正直な教えに従って「上手く書こうとするのではなく、ただ書く」ことによって楽に書けるようになると。

また「出来るだけ具体的に書くことによって著者と読者との距離が縮まる」など、多方面の文章表現において応用できる技術的な作法についても多く触れられていて、それら全ての教えを著者の言う「呼吸のように意識せずとも実践できる」ようになれば、最終的には「ただ書く」ことが「上手く書く」ことに、自然に変化することだろう。

自然といえば、最近どうも別の意味での「自然環境」の織りなす、気候の移ろいやすさのせいもあってか心身ともに疲弊気味で、それこそ著者のいう「書きたい気分ではない日」が続いている。

それでもそんな日にこそ書かなくてはならないとする本書の理念に沿って、以上、締切のある献本レビューということで取り急ぎ書いたものなので、作家になるための43の実践的エクササイズについてはまだ試せていない。

けれども今どうにか苦心して捻り出したこのレビューそれ自体もまた「書きたくない時でも自由に書くため、耳を澄ませるべき内なる作家の声」に沿うようなものに少しでも近づいていれば、とりあえず幸いである。