手塚治虫『三つ目がとおる』レビュー

三つ目がとおる 1 (GAMANGA BOOKS)

三つ目がとおる 1 (GAMANGA BOOKS)

※書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」からの指名献本によるレビューです。100字レビューは広告企画により、2012年3月25日付『読売新聞』朝刊にも掲載。サイト掲載後に後半部分を修正したため、紙上では以下の内容になっています。

・100字レビュー

漫画の神様によるフリークス萌え伝奇ミステリ。超能力を秘めた三つ目を絆創膏で隠す少年・写楽オーパーツ等の絡む難事件に挑む。一人称が「ボク」の勝気な少女・和登さんも魅力的。オカルト好きの若者にもおススメ!

・長文レビュー(約6,200字)

漫画の神様・手塚治虫の作品には、いわゆる「フリークス」すなわち「奇形」が頻出する。それは手塚が医師免許を持つ漫画家という特殊な存在だったこととも関連しているだろう。そして医学の知識があったからこそ描けたのが、闇医者の活躍する『ブラックジャック』や、ヒトと同じような心を持つロボットが主人公の『鉄腕アトム』と言った人気作である。

本書はそれらの作品に比べると多くの読者を獲得できていない気もするけれど、現在でている文庫版は8巻まであり、短編も多い作者にしては長めの作品だ。今回の復刊ではカラーページも連載当時そのままに再現されていて、本作のファンなら是非とも手元に置いておきたくなること請け合いの豪華版である。

「フリークス」への思い入れについては、本作の冒頭からしていきなり「ボインが四個ある女性」や「しっぽのある子供」に「多毛症」の説明がなされ、その前ふりがあって、主人公もその類の奇形であることがほのめかされる。

主人公は「三つ目」を持つ少年・写楽保介(しゃらく・ほうすけ)で、彼のおでこについている「三つ目」は不思議な能力を発揮することがあり、写楽は自分でその力を制御できないため、普段は絆創膏で隠している。学ランを着ていることからも分かるように年齢的には中学二年生なのだけれど、背が伸びなくて愛らしい感じから、ショタコン気味の女性読者も多く思える。

また一人称が「ボク」で勝気な性格かつ髪型がショートカットのヒロイン和登千代子(わと・ちよこ)は、本作を読んだことのない今の若者にとっても十分に魅力的な萌え属性を兼ね備えていることから、4月27日に予定されている新装版の発売によって、多くの新しいファンを獲得することになるように思われる。

なお主人公の名前・写楽保介は、名探偵シャーロック・ホームズに由来し、写楽が彼女を「和登さん」と呼んでいるのも、その相棒ワトソンから来ている。ホームズ・シリーズの作者コナン・ドイルはミステリのみならずSF作家としても有名で、アマゾンの奥地に恐竜などの古代生物が生き続けている設定の『ロスト・ワールド』などがある。

デビュー間もない頃の手塚も『ロストワールド』という作品を描いていたが、それは題名だけ拝借したもので、アマゾンではなく遥か昔に地球と別れた遊星ママンゴに、今なお恐竜などの古代生物が生きている話で、ドイルへのオマージュ的な漫画だった。

さておき本作は写楽の同級生でボーイッシュな「和登さん」が語り部になっていて、背が小さくスキンヘッドで頭も良くないことからイジメられっ子だった写楽を不憫に思う彼女が世話を焼くという関係になっている。そんなある日、いつものようにイジメられていた写楽がオデコの絆創膏を剥がされてしまう。

そこには目のようにみえるオデキがあって、それが発覚したことから更に「三つ目」と囃したてられ、イジメがエスカレートする。しかも見た目には、どうにも眼球そっくりなことから、和登さんは本当にオデキと信じられない。

そして周知に晒された彼の「三つ目」は超能力を発揮し、イジメっ子らを階段から突き落として大怪我をさせてしまう。普段は頼りない写楽だけれど、三つ目を隠していない時には、まるで別人のように自信に満ちた性格に変貌し、和登さんは気になって仕方ない。そしてついに彼女は、写楽の不思議な魅力にほだされて、恋に落ちてしまう。

和登さんは彼の養父であり医者の犬持博士と出会うこととなり、彼の三つ目は危険だから隠すようにと忠告されるが、彼女が恋しているのは、三つ目を晒している時の写楽なので、言うことをきこうとしない。しかしその最中、殺人事件が起き、写楽の仕業ではないかと犬持博士は心配する。

その後も保育器の中の未熟児たちが看護婦らを殺してしまう怪奇現象が起きて、また写楽が疑われるが、実はそうではなくコンピュータによって成長を促進させられた乳児がコンピュータの暴走によって超能力を得てしまったことが分かり、写楽は古代の武器と呪文を用いて、コンピュータの破壊に成功する。

次に失われた古代の力を復活させる野望を抱く彼以外の三つ目族が登場し、彼の能力をそのために使いたいと言ってくるが、写楽はそれを断る。更に「三つ目族の財宝」をめぐり、様々な陰謀が張り巡らされることとなる。といったところまでが、第2巻までの大雑把な概要で、続きが気になる。

写楽の持つ「三つ目」は正確には眼球ではなく見た目が眼球に近い器官で、眼球による視覚とは違う不思議な感覚を備えている。なぜ彼にそれがあるかというと「三つ目族」と呼ばれる古代から続いてきた種族の末裔だからである。

そんな背景もあって今では情報の失われてしまった「邪馬台国」や「ムー大陸」など、古代の高度文明の存在を証明する「オーパーツ」などの要素も盛り込まれている点において「死海文書」などオカルト的ギミックの多用されたSFアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』や「隠れ里」や「秘祭」をフィーチャーした伝奇ホラーゲーム『ひぐらしのなく頃に』など、その手のジャンルが支持されている昨今、再評価されるべき名作と考えていいだろう。

ちなみに世界中で売れているテレビゲーム『ポケモン』シリーズの作者・田尻智も、著書『新ゲームデザイン―TVゲーム制作のための発想法』(1995年/エニックス刊)にて、映画『フリークス』の大ファンだったことが、自分の成功につながったと書いている。

実際『ポケモン』に出てくる電気ネズミ「ピカチュウ」などのモンスターは、従来の生物とは外見的にも能力的にも違っているからこそ「モンスター」なのである。そんなこともあって彼の興したゲーム制作会社は「ゲームフリーク」という名前だった。「フリーク」は外見ではなく内面的異常を意味する言葉で「マニア」や「オタク」にも近い。

他にマンガやゲームやライトノベルなどに良く出てくる「フリークス」的なモンスターといえば、
ドラゴンクエスト』や『ドラゴンボール』など題名にも使われる「ドラゴン」が特に有名である。「ドラゴン」は爬虫類と鳥類の間の始祖鳥的な姿をしていて、もちろん現実には存在しない幻獣だが、西洋では「ドラゴン」として、東洋では「龍」として崇拝され続けてきた、奇形生物の王様的存在だ。

鳥山明の人気漫画『ドラゴンボール』は、神龍(シェンロン)に願い事を叶えてもらうために必要な、七つの宝玉をめぐる物語だが、主人公の孫悟空も名前の通りサルとヒトの中間的存在で尻尾が生えており、なおかつ巨大な猿の姿に変身してしまう能力を持っていた点で『三つ目がとおる』同様、フリークスを題材にしたことによって多くの読者を得た、まさにモンスター的な作品だった。

その少し前に連載された、ゆでたまごキン肉マン』における「超人」にも似たようなところがある。そもそも『キン肉マン』の主人公は円谷プロの特撮ドラマ『ウルトラマン』シリーズに出てくる宇宙人「ウルトラ一族」の末裔という設定で、その後ウルトラ一族とは別のキン肉星の出身に変更された。アメリカの人気映画『スーパーマン』もそうであったように、人智を超えた存在は人々を魅了する。

想像力の豊富さと旺盛な創作意欲によって「漫画の神様」として崇拝されてきた手塚治虫自身にも特異な外見的特徴があり、それは「天然パーマ」と「団子鼻」である。代表作『鉄腕アトム』の主人公アトムのとんがったヘアスタイルは、作者自身の風呂上がりに濡れた髪型がアイディアの元になっていて、団子鼻は同じく『鉄腕アトム』に出てくる「お茶の水博士」に投影されている。

団子鼻には特にコンプレックスがあったようで、ライフワーク『火の鳥』では「鳳凰編」において末代まで呪われた我王の呪いのモチーフとして扱われている。また彼は片手がなく片目の見えない隻腕隻眼という身体的特徴も持っていた。片目の隻眼は過剰奇形の「三つ目」とは逆に欠損奇形ということになるが、単に視えないのではなく最初から片目しかない奇形児は現実にも存在する。

単眼症は受精卵がヒトの顔を作る途中で止まってしまったことによるもので、通常なら最初おでこに鼻が形成された後、それが下に降りて眼球を分割させる。その前の段階でストップしているから、単眼児の鼻はおでこについている。単眼児の先天的障碍は外見のみならず、脳や心臓など多くの内臓器官も未発達で、そういう理由もあって死産もしくは産まれてすぐに亡くなってしまうようだ。

だから本来は生きながらえることがないけれど、もしそのまま生き残ったなら、という発想から単眼の巨人「サイクロプス」と呼ばれる架空のモンスターの下になっている。それでファンタジー作品に頻出する「サイクロプス」には鼻がなく、そのかわりおでこに角が生えている。それは角ではなく鼻の原型器官である。

そう考えてみると胎児の発達の過程において「三つ目」になることは考えにくく、もしあるとすればそれは本来なら双子になるはずだった二つの受精卵があって、それが合体して出来たことになるだろうか。実際に双子の生まれやすい遺伝子もあって、「三つ目族」の場合は、それに加えて「三つ目」を持つ形質を持っているのだろう。

現実にもそういう事例はあって、やはり手塚の代表作『ブラックジャック』において、闇医者のジャックが高貴な立場の女性から依頼を受けて取り出した大きな腫瘍を開いてみたら、そこにもう一人のヒトの器官が入っていて、なおかつ生きていることが分かる。それを彼が苦心してヒトの形になるよう作り直したのが、彼の助手「ピノコ」である。「ピノコ」は腫瘍の中で育ったせいで外見こそ未成熟のままではあるが、内面的には双子になるはずだった患者と同じくらいの知能を持っている。だからもし「三つ目」が二人分の能力を持っているとすれば、常人には不可能な超能力を発揮できても何ら不思議ではない。

またインドでヒンドゥー教徒の女性が額に描く「ビンディー」なる赤い丸にも「三つ目」的なイメージがあって、それを題材に三つ目少女パイを主人公とした、高田裕三『3×3 EYES(サザン・アイズ)』という80年代後期の人気漫画もある。

「ビンドゥー」は「点」を意味する古代のサンスクリット語の「ビンドゥ」が語源で、ヒンドゥー教徒の使うビンドゥー語として、既婚女性を表す化粧の一種である。ヒンドゥー教聖典ヴェーダで知られるバラモン教から派生した歴史の長い宗教で、多神教であるという点で仏教とも深い関係にあるようだ。

そんなこともあって「ビンドゥー」とは別に男女を問わず聖職者が使う「ティラカ」という化粧もあって、それは仏教における大仏像を彷彿させる。本来なら仏教の開祖でブッダとも呼ばれるゴータマ・シッダールタの像だが、弥勒阿弥陀如来の場合もある。とはいえ額に「ティラカ」がついているのは、どうやらブッダ像のようである。そしてそれは聖なる力の象徴として描かれている。

そのようなことから写楽の「三つ目」にも仏教的な「聖なる第三の目」の意味合いがあり、彼のもうひとつの大きな特徴であるスキンヘッドにも、僧侶の剃髪を感じさせる側面がある。手塚が宗教を題材にした作品に『ブッダ』があるように、宗教は大きな関心事だったようだ。しかし彼は特定の宗派に偏ることがない、第三者な視点の持ち主でもあった。

そんなことから『ブッダ』は仏教系宗教団体・創価学会関連の潮出版社にて連載されていたが、その一方で、無宗教的な傾向の強い共産党の機関紙『赤旗』に『タツマキ号航海記』を連載した。いわば右でも左でもないノンポリ的なスタンスの持ち主だったと考えられるが、その独特な宗教観の集大成は、彼のライフワーク『火の鳥』の壮大なスケールに投影されている。

前述の通り手塚は天然パーマや団子鼻に劣等意識を感じていて、なおかつそれは少年時代にイジメれらっ子だった彼が差別された理由でもあったようだが、それを逆手にとって創作の原動力と為した点において、やはり漫画の神様だったといえよう。

天然パーマや団子鼻の他にもイジメの対象となりがちな身体的特徴としては、薄毛や身長や体重などがあるけれど、それはいずれも本作の主人公・写楽の、三つ目以外の属性として使われている。他にも奇形とまでは看做されないけれど、差別されがちな身体的特徴として、毛深さや歯並びやホクロの多さなどがある。

ホクロの多さが嫌われやすい事例としては、額のホクロが特徴だった演歌歌手の千昌夫や、アゴのホクロがチャームポイントだったはずの椎名林檎に、顔にホクロの多かったアイドルの小倉優子が除去手術をしていたり、やはりホクロの多かった元スマイレージ前田憂佳の写真が加工されていたりと多くのケースがある。毛深さや歯並びについては、芸能人ならずとも矯正やエステを利用する者が多い。そういった身近な例も含めて考えてみると、三つ目の写楽に惹かれる和登さんのボーイッシュさというのも、トランスジェンダー的な意味で内面的にフリークス性を帯びている。

また「眼球」をめぐる物語といえば、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユが、盲目だった父親の眼球などをモチーフにして書いた奇妙な小説『眼球譚』がある。最近になって発売された光文社文庫の新訳では『目玉の話』と改題されている。

他にも水木しげるゲゲゲの鬼太郎』で人間と妖怪の中間的な存在たる幽霊族の末裔・鬼太郎の父が、身体の溶ける奇病に冒されていて目玉だけが残り、亡き母の胎内で育ち続け墓場で産まれた鬼太郎が、墓から這い出した時に潰れてしまった片目を住処とする「目玉オヤジ」になったことも思い出される。

妖怪もモンスター同様に奇形の体を為して描かれることの多い存在であり、水木しげるに対抗して手塚も1967年に妖怪漫画『どろろ』を描いている。その主人公・百鬼丸は、武士だった父親の魔術の生贄として、目玉どころか全ての顔のパーツや手足もないまま産まれ、魔物を退治することによって本来の器官を取り戻すオドロオドロしい作品だった。

1974年から78年にかけて描かれた本作は、登場人物の性格が明るいせいもあって、ホラー的なだけではなく、そのかわりに現代的な軽快さをも帯びることとなった。現代といっても連載されていた70年代といえば、もう40年ほど昔の話だけれど、リバイバル・ブームなど時代は繰り返しがちで、むしろ新鮮に感じられるかもしれない。

なお現在の僕のアイコンは右側の頬に絆創膏を貼っているのだけれど、もうひとつの目玉がついているわけではなく大人にきびができていて、それを隠すためのもので、不摂生か体質なのか大人ニキビが出来やすい。そんな折に同じく顔に絆創膏を貼って暮らす写楽少年を主人公とした、「三つ目がとおる」のレビューを書くことになったのは不思議な縁に思える。