報道の責任

潮見の事件。星島容疑者はSEGAの社員だったりエロゲーマニアだったことが事件に関係あるのではないかと週刊誌等で報じられているとのこと。確かにグロテスクで猟奇趣味のゲームは散見されますが、架空の出来事だからこそ遊べるわけで。

遺体を切り刻んでトイレに流す方法が『ゴルゴ13』に出てくるからといって、今更それを事件と結びつけるのは無理だ。最近よく行く中野ブロードウェイKOBO CAFE」大家でもある渡辺浩弐の小説『iKILL』でも、元ゲームプログラマーの殺し屋・小田切明が今回の事件さながらの死体処理方法を使っていたりする。犯人の人となりはゴルゴより近い気もするが、あくまで創作物の話。面白ければいいのであって、現実的かどうか考えるほうがどうかしている。

しかしテレビや新聞や雑誌やネットニュースで事実として報道される犯行手段は、実現可能であることを暴露することで、模倣犯を産む恐れがある。今回の事件に関して言えば、フィリピン人女性をバラバラにした通称チャーリーこと野崎容疑者の事件がある。彼は以前にも遺体損壊事件で逮捕されているが、殺人罪は適用されず刑も軽かったという。遺体がバラバラだから外傷等の証拠が見つからず立件できなかったのだ。自分で殺したわけでもないのにバラバラにするとは思えないのだけれど。しかもトイレに流して証拠隠滅を謀ったらしい。まるで今回の事件に酷似しているが、ともかく殺人罪にならなかったという判例が出来てしまっていたわけ。被害者がフィリピン人だったから、という可能性もあるかもしれないけれど。。。

なお野崎容疑者2度目の遺体損壊事件は、お台場のマンションで今年の4月に起きた。星島容疑者の事件が発生した潮見とはかなり近い。彼の勤務先だったテレコムセンターに至っては、モノレール「ゆりかもめ」の「お台場駅」と2駅しか離れていない。劣情を燻らせていた彼が猟奇事件の報道を引き金に犯行を思いついたとしても不思議ではない。

報道が防犯に役立つ側面もあるが、殺人手段や隠蔽工作の詳細まで詳らかにすることが果たして必要なのだろうか。面白おかしく報道することで模倣犯を増やすばかりではなく、被害者や遺族の尊厳まで奪うことになりはしないか。被害者のプロフィールを公開する一方で犯人の勤務先名は隠されたままだったりするのは合点が行かない。本当の意味で世のため人のため必要とされる報道基準のあり方とは何か。どうかマスコミ関係者各位には、胸に手を当てて今一度考えてもらいたいと思う。