荻窪ボクシング・リー「コトノハという未知に向かって」

昨日の帰宅が遅かったこともあって15時からのオープンマイクには間に合いませんでしたが、18時からのシンポジウムライヴを観てきました。エンタメ性の高いパフォーマー揃いでした。オープンマイクも見ればよかったなあと思いました。ディスカッションではでしゃばってしまいましたが、考えてみたら長時間いた方々は結構疲れもあったのかもしれませんね。ちなみに時間が無くて言えませんでしたが、僕が言おうとしていたのは次のようなことです。


文章も朗読も音楽も絵画も漫画も映画も五感の全てを満足させることは不可能だという意味においては総合芸術とはいえないのかもしれません。では五感の全てを満足させることのできる総合芸術とは何かと考えてみたら、それはたとえばセックスのようなものだろうと思うのです。だからといって出演者が観客全員と満足なセックスができるわけではありませんが、特にライヴという状況を考えたとき、出演者と観客の五感が渾然一体となったセックスにより近いグルーヴを生み出せるのが理想ではないかと思うのです。内にこもってしまっていてはライヴである必然性がありませんし、何より観客を心底愉しませるエンタメ性にも欠けます。


(中略)


言いそびれた言葉の塊が爆発することで詩が生まれるのならば、抑圧された言葉の圧縮率が高ければ高いほどより大きなビッグバンを引き起こすことに繋がるのだろうというようなことも考えました。


(中略)


装飾としての言葉と肉体としての言葉があり、タイトスカートのスリットからチラリと覗く太腿のようなフェティッシュな言葉のエロスというものがきっとあるのだろう


(中略)


受信料を払ってください!
受信料を払ってください!
僕に受信料を払ってください!
年中無休で皆さんのご家庭に公共放送をテレパシーで送信し続けている僕に受信料を払ってください!



昨日の日記同様、後で加筆する予定です。