生きた気もせぬ程の飢餓感

生きた気もせぬ程の飢餓感
それゆゑに湧き起こり来たる
生の実感


2日間、珈琲と紅茶と緑茶だけで過ごしながら、本を5冊読み、40枚分の原稿を書いた。


余りの飢餓感で気が変になりそうだった。飽食の時代に産まれてすっかり忘れ去っていた飢餓感!それはそれで素晴らしいことのようにも思える。一心不乱に労働に身を殉ずる。それもまた一種の 真理を得るための修行といえるかもしれない。しかし断食もまた同様に現代の日本人が失ってしまった人類の可能性を見出す手段のひとつかもしれない。そんなことを考えていた。


とはいえさすがに飲み物だけで生きながらえるのはもうしんどい。銀行にまだ幾らかの預金が残っていることを思い出し引き出しに行ってみた。ところが残高があるのは普段利用していない銀行の口座だったので、暗証番号が思い出せない。うっすらとした記憶を頼りに3度試してみたが全て間違っていた。3回入力を間違えるとカードは使えなくなってしまうんだね。


もう腹が減ってしょうがないので困り果ててすぐさま家に戻り、もう読み返すこともなさそうな 漫画本15冊を抱えて近所の古本屋に駆け込んでみた。そこにはいつもの店長の姿はなくて、店番をしている初老のおやじさんが対応してくれたのだが、店長じゃないと値段が付けられないので明日 にしてくれと言われた。明日じゃもう手遅れなんです、僕は腹が減ってしょうがないんです、お願いですから何とかして頂けませんものでしょうかと懇願してみたところ、おやじさんははっきりとした買取値はわからないから、とりあえず最低の値段でよければ引き取ってあげようと言ってくれて、240円で買い上げてもらった。一冊50円として15冊なら700円にはなるだろうと考えていたが甘かった。でも言葉の例えなんかではなく本当に背に腹は替えられぬ状況に追い込まれていた僕はそれでも十分だと思い、その金を受け取った。


どうにかこれで99円オンリーストアで食パンとマーマレードジャムが買える。ところが何故か僕はメロンパンを買ってしまった。菓子パン如きがたいした腹の足しになりえぬことは承知していたものの、そのメロンパンにはなんと粒あんとマーガリンが入っているらしいのだ。粒あんとマーガリンの入ったメロンパン!なんて美味しそうなんだろう。その誘惑に耐え切れず僕は税込価格103円のそのメロンパンを買ってしまった。残りは137円。実は煙草も買いたかったので、1箱130円のショートホープを買うことにした。普段は1箱270円のゴールデンバットボックスを愛煙しているが、それすらもままならぬ状況なもので、このような手段を講じることとなった。自販機では2箱セットで売られているショートホープをわざわざ煙草屋で1箱だけ買う客も今時珍しいに違いない。あと20円あればエコーが買えたのだがそれすらもあたわないの
だ。


それから1時間経過した今、僕はこの文章を書いている。メロンパンはとっくに腹の中に納まってしまっていた。もはや新たなる飢餓感が僕を襲い始めている。それをまぎらすためにショートホープをくゆらしながらこうして文章を綴っている。僕は一体全体、何がしたいというのだろう。僕はこれから何処へ向おうとしているのだろう。全然わからない。わかるはずもない。わかっているのは僕がいま腹を空かしていて、なおかつ財布の中には7円しか残っていないというこの唯一の現実だけなのだ。 もうすでに僕は狂ってしまっているのかもしれない。


地位も名声も得ていながらその立場に安住し醜く生きながらえることを良しとしなかった三島由紀夫の生き方に憧れる。だから今ここで何もなさぬままに餓死する道を選ぼうとは思わない。とりあえず身の回りにあるお宝を売りさばいてどうにかやってこうと考えた。ファミコンショップでファミコンソフトを一律100円で買い取ってくれるとの広告を見つけ、どうにか更に2000円獲得することに成功した。


2キロ700円の米と、サッポロ一番を数岱、カップ酒を1杯、缶詰を数個、そしてエコー1箱を購入し、それなりに贅沢な晩酌の時間を過ごす事が出来た。まだ仕事をするために都心に出るための交通費は残っているので、早急に社会復帰する方向で努力したい。その前に、現在の堕落仕切った状況の中でしか生み出しえぬと思い込んでいる100枚の小説を書き上げることで、この度のろくでなし実験の一旦の成果を見出す考えである。