「明神通り」の通り魔ふたたび

秋葉原事件の現場は「神田明神通り」でしたが、今度は八王子の「明神通り」で通り魔。先月書いた日記の一節を思い出した。「非日常的空間で起きた、非日常的事件。祭事に必要不可欠な供物。神田明神通り。将門の首塚。。。考えすぎですかね」http://d.hatena.ne.jp/shinichikudoh/20080608

「通り魔」とは「通りに出現する魔人」と同時に「心に悪魔が通ってしまった人」のことでもあるだろう。しかしだからといって別に、許されるべきことだと言いたいわけではない。「罪を憎んで人を憎まず」とは「罪人を罰しない」ことではなく「人物や事情を問わず罪の重さに等しく罰を与えられるべき」という考え方。「泣いて馬謖(バショク)を斬る」と同じことではないか。「目には目を歯には歯を」で知られるハンムラビ法典の一節。これまた誤解されやすいが、決して復讐法なんかではなく、むしろ罪を償わせる法。目を奪ったものは自らが目となり、歯を奪ったなら自らが歯となって被害者に奉仕せよ、ということ。

全ての罪は罰せられるべきだろう。だがそれはあくまで社会のルールだからということに過ぎず、犯罪抑制効果なんて微々たるものだ。罰を恐れて罪を犯さないなんて普通の感覚を持った人ばかりなら、犯罪なんか起こらない。普通じゃない状態の人に何を言っても無駄。突発的に発生する事件や事故から逃れる最良の方法なんてない。結局のところ運の良し悪し。せめて出来るだけ確立を下げる為にもセキュリティを強化するしかない。幾らどんなに犯罪発生率が下がっているといっても、それは単に世の中が便利になり鬱憤の発散方法が増えたことと、外を出歩いたり人と会う機会が減ったからというだけのことではないだろうか。