KOBO CAFE @中野ブロードウェイ

9日のオープン初日と今日のトークショウと、2日連続でお邪魔して来ました。

渡辺浩弐中野ブロードウェイにクリエイターの集う遊び部屋を持っていると聞いたのは、いつ頃だったか。小説『怪人21世紀 中野ブロードウェイ探偵ユウ&AI』や『iKiLL』の舞台ともなっていた場所。「KOBO CAFE」として足を踏み入れることが出来ようとは。感激も一塩であった。

渡辺浩弐いわく「ブロードウェイビルは、この世とあの世を繋ぐ異界のような場所」あるいは「2次元と3次元を繋ぐヴァーチャル空間」とも言っていただろうか。「KOBO CAFE」は4F病院街の突き当たりにひっそりと待ち構えている。いかにも隠れ家という風情が、悪の秘密基地のようで如何わしい。

なんといっても4Fが人の生死を司る病院街というのが、面白い。「4」という数字が「死」を連想させるという理由から4Fが無いビルも少なくないからだ。単純に5Fから上が住宅だから通いやすいということかもしれないが。まんだらけの事務所とマニア館がある4Fは、ある意味において聖地だったのだ。

パワースポットは力ある人間を増強させる一方で非力な人間から力を奪う。だから有名人に会う、というのも考え物だ。とはいえ「KOBO CAFE」は一味違う。コーヒーの味だけではない。何といっても大作家の渡辺浩弐が、自らコーヒーを淹れてくれるのだから。

なお彼の考案によるUFOコーヒーにまつわる壮大な話は、イベントだけのオフレコとのこと。ネットで晒したりすると行方不明になったりする危険性が。。。ってこれ自体すでにマズいのかw

さておき渡辺浩弐の主成分はコーヒーとチョコレートだそうで。「SPA!」情報によるとチョコレートには恋愛中に発生する脳内物質に良く似た成分が含まれているそうな。だからチョコレート中毒の人は愛に飢えているのだとか。さてはて渡辺氏は如何に?

IT革命によって文章やヴィジュアルは伝えやすくなったが、匂いや味をヴァーチャルで伝えることは難しい。COZY氏は以前から、それをやってみたかったとのこと。そういえばどこかで呼んだ記憶があるなと、家にある著書を探ってみたら、ありました。「ヴァーチャリアン嘘つかない」のなかで明言されていました。本当に嘘つかない人だったわけです。テーマこそブルセラでしたが。。。

文学は作者の思考回路を追体験できる唯一のツール。漫画のコマ割りや映画のシーンもある程度は追体験の感覚があるが、やはり違う。たとえばモノの形と色を伝える場合。文学なら伝えたい順に伝わるが、映像ならモノのアップで色を見せてから形を見せたり、陰に隠れたモノの形だけを見せてから光を当てて色を知らせるということになる。これはまあ、何とかなる。しかし見えているのに見えないようにするのは至難の技だ。思考実験というキーワードは渡辺浩弐のゲームキッズ・シリーズの主題でもある。

以降「中野ブロードウェイ渡辺浩弐」関連で思い出した自分語りを少々。

在籍期間が短かったこともあってプロフィールからは削除しているが、僕は10年前に「まんだらけ」店員だったことがある。諸所の事情により大学を中退せざるを得ない事態により、学生バイトだったコナミのテストプレイヤーも続けられないからと、職を探していたある日、道端で拾ったフロムエーに「まんだらけ社員募集」の広告を見つけた。

ちょうど古川益蔵社長がテレビ東京系列の『なんでも鑑定団』にレギュラー出演していた折のことでもあり、すぐさま連絡を入れた。募集期間を過ぎていたが直ぐにでも動けますと伝えたところ、社長直々に面接をしてくれた。「今現在で一番気になる漫画は何か」と問われ「小山ゆう先生の『あずみ』です」と答えたら即決で採用となった。

中央線沿線への引越しを命じられ、小田急沿線の鶴川から国立に引越した。研修期間は時給制だったが、土日手当てが付いて初任給は思ったより多かった。大学在学中に2年半ほど続けたコナミのバイトですっかりゲーマ熱が再燃していたこともあってゲームをしこたま購入。しかし仕事が忙しくて遊ぶ暇が無い。仕事に慣れていないのだから、まあ当然のことなんだけれど。そんなこんなで3ヶ月の研修を終えたが、持病の逃避癖が出て最終日で辞めてしまった。

後にソニー・コンピュータエンタテインメントでいわゆるソニーチェックを1年。ソニーをクビになった直後にドラクエを並んで買った。実はチェックで散々やっていたが、時系列に沿ってプレイできなかったので。出来立てのネットカフェでドラクエ攻略を探したのがネットにはまったきっかけ。

ホームページ作成代行の営業をしながらネットカフェに通う毎日。この頃『ファミ通』でショートショートを連載していた渡辺浩弐が『ディーズガレージ』という番組で司会をしていた。公式サイト『ヴァーチャリ庵』や「ヴァーチャリアン子・桃井はる子」さんのホームページBBSに書き込んだり。テレビや雑誌の向こう側の人からレスが付くのが嬉しかった。炎上騒ぎも目立たなかった、古きよき時代?

そういえば彼らのデビューのきっかけでもあったという、パソコン通信。実は僕も94年にニフティ会員だった。しかしPC販売代理店とのいざこざからPCもろとも手放してしまったので、出遅れることとなった。

PCスキルを身につけようと引きこもながら、今度は2ちゃんねるに逃避。インターネットプロバイダDION by KDDIのテクニカルサポートなどをするうち、すっかりPCマニアと化していた。ファミコン時代に好きだった『消えたプリンセス』などで知られるゲームメーカー「イマジニア」でケータイサイトの仕事もした。去年にはPCセットアップやソフトのインストールなどを、いっぱしのセールスエンジニアを装ってこなした。まさか大手電機メーカーの腕章を付けたエンジニアが、実は日雇い派遣だったりしていたとはなあ。

翌日の日記につづく。