閻魔堂跡地

2ちゃんねるに書き込もうとしたら何故かできなかったので、ここに書きます。


去年の秋頃に従事していた仕事の外回り営業で埼玉県川越市を訪れた折の出来事です。


そこは川越城を囲む城下町の一角で「小仙波町」という不思議な地名の名づけられた地区なのですが、道路は舗装されているものの歴史の長い町並みだけあって立派な旧家が並ぶところです。後で知ったことですがこの一帯は蔵の様に頑丈な家造りをしてきたために震災火災の影響を受けず殆どの旧家が現存する「小京都」とも言われる観光名所なんですね。


夕刻頃のこと、その地の一角に少々場違いな印象の廃屋を見つけました。薄れかけた看板の文字を読むと、どうやら元は不動産屋さんだったようです。しかし道路に面した大きな窓は割れまくっていて、埃にまみれた建物の中は黒く薄汚れており壊れた家具やゴミが散乱していて、かなり以前から廃屋になっていたようなのです。隣にはアパートらしき建物がありますが、こちらもかなり汚れていて、どうも人が住んでいる気配はありません。


ここまでは別段不思議な話ではありませんが、問題は廃屋の裏側にありました。そこは鉄条網で囲われ土の地面のむき出しになっている空き地のような場所で、大小様々な石が無造作に置かれています。すぐ側の道路は舗装されていて住宅街の一角ということもありここだけがいきなり野晒しというような浮いた印象を受けました。そしてその場所の中心には大小様々な「地蔵」が並んでいて、その奥に大きな石碑があり何やら書かれているのですが、文字が擦れていて読めません。不気味な雰囲気に虞れを感じつつも好奇心にかられた私は鉄条網のなかに分け入り立て札に近寄りました。


――「閻魔堂跡地」と書かれていました。


持参の地図を見てみると、地図にも「閻魔堂跡地」とあります。有名なところなのかと思ったのですが、それにしては余りにも無造作で、どう見てもその廃屋と跡地のある一角だけ捨て置かれているという印象です。


――近隣の人にさえ疎まれている場所なのでは?


考えが至るなり急に悪寒を感じた私はすぐさまその場を離れ営業先に向かいました。次の営業先である産院は程近い場所にありましたが、扉のノブを回す時に奇妙なぬめりを感じて少し気持ち悪くなりました。産院ですから羊水か何かが付着していたのかもしれません。それはさておき営業の結果は暗澹たるもので契約には至りませんでした。


その後も幾つかの営業先を廻りましたが全く無しの礫で疲れました。実はその日「閻魔堂跡地」を訪れるまでは格別に営業成績がよかったものですから急に落ち込んできたのはよもや祟りではあるまいな? などと自分の営業力を棚上げにして邪推する始末。そして夜も更けてきた頃、街灯の少ない田園地帯を歩いていた私は不覚にも道に迷い、不安な心持のまま2時間近くも無駄にしてどうにか仕事を終え、文字通り骨折り損の草臥れ儲けと相成りました。


最近になってこの日のことを思い出し「川越 閻魔堂」のキーワードでネット検索してみたところ、「喜多院の七不思議」の一節「おばけ杉」が見つかりました。その木を切りつけると真っ赤な血が流れ出したという伝説だそうですが、いまはもうその木自体が残っていないんだそうです。さらに「七不思議」の「琵琶橋」という逸話は「僧侶が小仙波町で道に迷う話」で、あの日の私の体験と重なります。念のため地図を見ましたらやはり「閻魔堂跡地」のあった場所は「喜多院」のすぐ側でした。


参考リンク「川越の民話と伝説(1)」(「喜多院の七不思議」が載っています)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/minwa.html#densetu1