ホームシックもしくはノスタルジー

今朝、久々に泣きました。正確に言うと、寝ながら泣いていたわけなんですけれど。多分、昨日寝る前に友人の飼っていた犬が亡くなった話を聞いたからだと思います。


今朝見た夢は時たま繰り返し見ることのある夢なのですが、僕がまだ幼稚園くらいの頃の実家の光景なのです。僕は先月28歳になったので今からもう20年以上前になってしまうんですね。20年というとかなりの歳月のはずなのですが、当時の光景は何故だか時折鮮明な記憶として夢に出てくることがあるのです。


今朝その夢をまた見たのが昨日聞いた犬の話に関係があるというのは、当時実家で飼っていた愛犬ゴローもその夢の中の光景に出てくるからなのです。コリー犬の血がかなり入った雑種で、見た目はコリー犬と殆ど一緒のりりしい風貌の犬でした。ゴローは僕が中学3年の時に亡くなっています。僕が産まれた頃に貰われてきた子犬だったので、15年生きていたことになり、亡くなった頃はもう老犬でした。でも老衰ではなかったんです。


かなり耄碌(もうろく)していたということもあり、たまにしか顔を見せない人が近付くと猛烈に吠え掛かるようになっていました。もともとは知っている人であればそんなことはなかったのです。ある日、近所のおばさんが気を効かしてゴローに餌を与えようとして近付き、噛まれてしまいました。全治1ヶ月の重症でした。僕の父親はその後考えた末に、ゴローを保健所に連れて行くと言いました。一度人を噛んで人の血の味を覚えた犬はこれからも人を噛むだろうという理由からでした。


僕は産まれた時から家にいたゴローを保健所に連れて行くことには猛反対していたのですが、数日経って学校から帰ってくるとゴローはいませんでした。保健所から戻ってきた両親にゴローが薬物注射で息をひきとったことを聞かされました。両親も辛かったみたいで、母は泣いていたような記憶があります。


確かに大それたことをしでかしてしまったのだから罰を受けざるを得なかったともいえるのかもしれませんが、僕はそれが命を絶たれる程の罪とは思えなかったこともあり、しばらく納得がいきませんでした。しかし何よりも悔いが残るのは、僕が納得するまでは両親がゴローを保健所に連れて行くことはないだろうと思い込んでいて、お別れの挨拶を出来ぬまま二度と会えなくなってしまったことです。この話の経緯はいつ思い出しても泣いてしまいます。


ゴローとの思い出があるから、「ハチ公物語」とか「南極物語」といった犬物の悲劇映画を見ても大泣きしてしまいます。もともと涙もろいところはあるのですけれども。でも犬に関しては「101」などの明るい映画であっても泣けてくるので、やはり事情が違うみたいです。コリー犬が活躍する「走れ!ジョリー」に至っては、風貌がゴローにそっくりなので辛いですね。さらに中学生になってからの僕は、放課後はサッカー部の練習をやり、休日や帰宅後はテレビゲームや読書といったインドアな趣味に時間を費やす様になっていたこともあり、あまりゴローを構ってやれてなかったことも後悔の一因でした。


個人的にはもう同じような思いはしたくないから犬は飼いたくないような気もするのですが、なにかのきっかけで今後飼うようなことになるかも知れません。そうなったら今度は、いつ飼い犬が亡くなるような事があっても後悔することのないくらいに愛情を注いでいきたいと思っています。犬の話は、とりあえずここまでです。


今日の様にゴローのことを思い出すと、決まって先程話しました幼稚園の頃の実家の光景が夢に出てきますので、同時に家族の事も思い出して、ちょっとしたホームシックに陥ってしまうのです。僕は北海道の実家から18歳の時に上京してきたので、あと3ヶ月で一人暮らし10年目に突入します。上京したての頃は年に2回、それぞれ1週間くらいずつは実家に帰省していたのですが、最近は1年に1回帰ったり帰らなかったりで、家族と過ごす時間はほんのわずかです。電話で話したのも今年は確か2回くらいしかないです。


こんなに家族と疎遠になっているのには色々とここでは言い辛い事情があったりもしますもので、本当は家族の事が気になって仕方ないのです。さすがに毎日ではないのですが、3日に1回くらいは家族の事を考えています。でも実際に連絡を取ったのは今年は2回程度ですから、複雑な想いではあります。今とは違った形でもっと親密に家族と接していきたいのですが、そうもいかないのです。