村上春樹『風の歌を聴け』レビュー

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

・100字レビュー

アメリカ文学の影響の強さから芥川賞をとれなかったデビュー作。今は日本文学も意識してると言ってて、こんなに日本人的な小説はない気もする。戦後の日本人の多くはアメリカの影響を強く受けているのが普通だから。

・長文レビュー(約1,000字)

単行本には吉行淳之介が帯文を書いていて、アメリカ文学の影響の強い新しい作風の作家だと書いている。そしてその新しさゆえにデビュー当初はその価値を認めようとしない作家が多かったようだ。

つい数年前に知ったことだが、発刊されて間もなく映画化もされていて、既に若者から支持されていたこともあり、基本的には無名の新人にスポットを当てる方向性を持つ芥川賞の選考委員などから嫌われても当然に思える。

しかしそういう経緯を経て、もともと影響の強かったアメリカなど海外で読まれることを見据えた活動により、今やノーベル賞候補にまで登り詰めることとなった。

ノーベル賞候補は本来非公開らしいけれど、世界中の専門家による学術論文における言及率などから推測され、実際そこに名の出なかった作家がノーベル文学賞を受賞したことはないそうである。だから村上春樹の小説に対する世界中の評価の高さは、それら学術論文を読めば分かるのだろう。

そんな彼の原点は「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という言葉から始まっていた。

それは作者あるいは主人公による発言ではなく、主人公が敬愛する作家の遺した名言ということになっているが、実はその作家は架空の人物であり、だからその言葉もおそらくは作者自身のオリジナルなのだろう。

もしくは他の誰かの言葉かもしれないが、少なくともそれは彼が小説を書くためになくてはならないものだった。そして「完璧ではない」と言い訳しながらも、ずっと売れ続けてきた彼の完璧さは多くの読者が知るものである。

それにしても「アメリカ文学の影響」から忌避されたのだとすれば、むしろ芥川賞作家の村上龍の方がアメリカナイズされた若者の生活を書いていたように思えるけれど、しかし春樹が認められなかったのは、もともと両親が国語の先生だったことから、日本文学に対して反抗的な意識を持っていることが作品から感じられたせいかもしれない。

とはいえ現在の彼は漱石や三島など日本文学を意識していると自ら明かしていて、ずいぶん創作態度が変化したようである。それは多くの時間を異国で過ごすようになり、世界における日本の特異性を重要に思い始めたからではないかと推測される。

そういった観点から読みなおしてみると、これほどまでに日本人的な小説はない気もしてくる。というのも敗戦後の日本人の多くは、あらゆる点でアメリカの影響を強く受けているのが普通だからだ。

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