シュレディンガーの猫

夜20時過ぎでしたでしょうか。雨の降る一歩手前の空模様で月も見えず、辺りはすっかり暗くなっていました。寒気と湿気が渾然一体となった居心地の悪さを感じながら自転車で新宿から帰る道すがら、角筈交差点で信号待ちをしていたときのことです。

この交差点の辺りは道ばかりだだっ広い割りに建物が少なくて人もまばらで、不安を煽るロケーション。少し歩けば繁華街だというのにひっそりと静まり返っていて、耳に入るはクルマのエンジン音ばかり。なんて思っていたら男性が二人やってきました。

「この前、ネコ轢いちゃってさ」
男性の一人が、おもむろに切り出しました。
「踏んじゃった、じゃなくて?」
おちゃらけてからかってみせる相棒。
「笑い話じゃなくて、まじブルーなわけ」
「ごめん。それで」
「まあ轢いたってより、撥ねたのか。ボンネットに急に衝撃きてさ。慌てて停めてみたらさ、クルマの後ろに、ネコがうずくまってて」
「いきなりボンネット?」
「横に塀があってさ、そこからジャンプして突っ込んできたみたいでさ」
「ダイハードだな」
「いつもはさ、仔猫が道に飛び出してきても避けられるのよ。キホン安全運転だし」
「死んだ?」
「最初そう思ったんだけど、近づいてみたら動いてて。内臓とかも出てないし」
「大丈夫だったのか」
「でもグッタリしてて」

そこで信号が変わったので、僕は自転車で二人を追い越してしまいました。
何やら都市伝説にでもなりそうな雰囲気も手伝って続きが気になり、交差点を渡りきったところで地図を見るフリをして待ち伏せました。

「病院に連れてこうかと思ったけど、よくわかんなくて」
「野良なの?」
「それもわかんねーし。なんつーか途方に暮れちゃって。ほっとくのもアレだし」
「夢見が悪いか」
「そういうんじゃなくて、オレってネコ好きじゃん」
「そうなの?」
「この前の合コンの時さ、言ってたじゃん」
「あーネコ飼ってるコ、狙ってたもんな。あの後どうだった?」
「メール出すと返してくれんだけど、あんまり進展ないな」
「いい感じじゃん? オレには返信くれねーし」
「何でお前がメールしてんの?」
「メールくらい、いいじゃん」
「よくねーよ。目ェつけてんの知ってたくせによ」
「オレには興味ないんだろ。それがわかっただけでもいいべ」

……結局、ネコがどうなったかは聞けませんでした。
期待した結末は「必死で看病したら、すっかり元気になって。今うちで飼ってるんだ。名前はダイハードw」って感じのハッピーエンド。もしかしたら「病院探したけど、手遅れで。可哀相だからウチの庭に埋めたよ」なんて可能性も。最悪のケース「結局そのまま置いてきちゃった」だったら、イヤだなあ。

いずれにせよネコの運命は不明。まるで『シュレディンガーの猫』みたいだなと思いました。「50パーセントの確率で毒ガスが放出される箱に猫を入れ、ネコが今生きているかどうか証明することは可能か?」というアレです。

ところで歌舞伎町から西新宿に至る新宿一帯は、かつて角筈村と呼ばれていたんですよね。今では図書館や交差点の名前として残っているのみ。熊野神社の周辺で村を興した開拓者・渡辺与兵衛が、仏教の在家信者だったことに由来するらしい。在家僧を意味する優婆塞(うばそく)は神宮の忌詞(いみことば)として「角筈」と言い換えられたことから転じて、村名になったそうな。忌詞とされた経緯は定かではありませんが、一説によれば「うばそく」は本来「乳母息」で、乳母の息子だったとされる「天武天皇」が出家したことを指すのだとか。新宿御苑も近いですし、風水や言霊の兼ね合いなんかもあったりするんでしょうか。

ともあれ今や姿を消した地名の名残をわずかに偲ばせる四辻での出来事だったせいか、どうにも神妙な気持ちになってしまった次第。仏教徒が作った村はいつしか歓楽街へと変貌を遂げ、ネコの命運は合コンの行方へと、こともなげに擦りかえられてしまう。

Tommorrow never knows. 所詮この世は移ろいやすいもの。
Tommorrow is another day. 明日は明日の風が吹く
――シュレディンガーの猫。明日は我が身なのかもしれません。