高橋源一郎×島本理生トークセッション

体調が悪いと言いながらも、行って参りました。正直言って目新しい話を聞けたというわけでもないような気がしないでもないのですが、TG先生や島本先生、群像編集長のお話を間近で聞けたのは初めてのことでしたし、いいオーラを貰えたと思います。詳細についてはメモがあるのですが、久々の外出で疲れ気味なため、以下編集中です。かなりいい加減なメモに記憶を味付けして書いたので、ウロ覚えの部分もあります。感想は後ほど加筆予定。


高橋源一郎×島本理生トークセッション」


唐木編集長:群像60周年記念号の表紙は、祖父江慎さんのデザインです。創刊号の表紙の上に最新号のロゴが重ねられているんですが、お気づきいただけましたでしょうか?


高橋源一郎:あ〜、それは気づきませんでした。それにしても、80代から20代という幅広い年齢層の作家による作品が網羅されているのは素晴らしいですね。ちょうど群像の歴史と同じ60年の幅です。とにかく日本の短編はレベルが高いですよ。改めてそう思いました。自分の作品を中心にして半分ほど読んだんですが、島本さんのは泣けましたね。


島本理生:ありがとうございます。私は電車の中で5分の3くらい読みました。


高橋源一郎:僕の半分に、少し差をつけましたね。そうそう、実は僕の作品には続きがありましてね。厨子駅前の改札でも、松嶋奈々子が〜云々。僕は本当に本当のことしか書いていないんですよ!


唐木編集長:全46篇、これだけの短編を一度に読めるのは文芸誌ならではのことです。なかなか単行本に入らないものも読めるわけですから。


高橋源一郎:数えてみたら、読んだのは28篇。67%かな? とにかく数が多いですもんね。ベストは河野多惠子さんと、古井由吉さん。壊れている感じがいい。年齢が下にいくほど「小説を書こう」という意欲が先行して、完成を求めてしまう傾向がある。若い人の作品には「とりとめのない怖さ」がない。河野さんや古井さんの作品は、かろうじて小説の体裁を整えているものの、とにかく自由なんです。たまたま小説になっているというのかな。そういうものほど実は、より小説らしいんです。(中略)自分は77歳くらいで死ぬでしょう。家系を遡ると大体そうなんです。逆算すると、これから書けそうなのは長編5本が限界。10年くらいはスランプがあるだろうことを加味してのことだけど。(中略)小島信夫さんの作品もほしかった。


唐木編集長:依頼はしていたんですが、体調を崩されているとかで。できれば掲載したかった。


高橋源一郎:書いてくれていれば最年長ですかね? なんと91歳ですか。小島信夫さんの作品は、日本の小説で一番、自由。日本語の小説がどういうことをできるかは、純文学の短編に最も現れやすい。歳をとるほど、意図せずに壊れていく。ボケていく。理生ちゃんは短編についてどう思う?


島本理生:短編は読むのも書くのも好きです。エネルギーを最も自由に出せる枚数という気がします。どれだけ読んだか私も数えてみたら、22編でした。高橋さんに負けてましたね。特にいいなと思ったのは、金原ひとみさんと笙野頼子さんの作品。ネタバレになっちゃいますけど、いいですか? 金原さん作品は、どこへ向かうのか全然分からないまま話が進んでいって、ラスト3行で全てが分かるというのが、すごいと思いました。一番最後の「6月が終わってゆく」の1行に集約されている気がしました。笙野さんの作品にも、とにかく印象深い1行がありました。「今年50歳になって、ようやく10代の頃に不思議なプロポーズを受けた話について書けるようになった」という内容の部分。少女の頃の想い出を書く決心が着くまでにそんなに時間がかかるなんて。今はこういう感性って、ないですよね。頑なさと繊細さに圧倒されました。そこまで思いつめることってなかなか出来ないなと、胸を打たれました。


高橋源一郎:そのおふたりは、島本さんの作風とはかなり違いますよね。それなのにシンパシ-を感じるのって不思議ですが、どうしてなんでしょう?


島本理生:少女性や純粋さ。他の人から見ると綺麗とはいえないほど意固地な感じに、シンパシーを覚えるんだと思います。


高橋源一郎:そこがシンクロするのか。それは素晴らしく的確な評論ですね。そうそう出てこないよ。僕もどこかに書こうかな。なんてね。金原さんについては?


島本理生:冷静な観察眼と、悲惨とも思える出来事を面白おかしく書けるところに、奇妙な感覚が残ります。


以下、加筆準備中です。