掌篇『ありあなぽい』

「てきすとぽい」の前身だった「テキスポ」に続いて「アリの穴」まで閉鎖されてしまったそうなので、投稿者への救済措置として「ありあなぽい」を作ってみることにした。サイト名は「てきすとぽい」のパクリだけれど、空気が全く違う。「てきすとぽい」は「テキスポ」同様に作者名が明かされていて、なおかつ和やかな雰囲気に包まれていると感じている。やはり個人が特定される環境において、常識の持ち主なら滅多なことは書けないものだ。エログロとか作風の話じゃなくて、作品に対するコメントに本音をさらけ出すことが出来ない。良心的なコメントが建前に過ぎないと感じる根拠は、どんなに褒められていても点数が低かったりする事態が証明している。まあでもどんな悪文であろうとも褒められる箇所はあるものだし、それより面白い作品があれば評価を低くせざるを得ないから、それは仕方ないことだ。なんて考えた末にコメントをしなくなってしまったのである。「てきすとぽい」を叩く者も幾名かいるけれど、彼らもその二枚舌が気に喰わなかったのだろう。とはいえネット上には数多くの投稿サイトがあるから、別に一か所にこだわる必要もないので、過剰反応に思える。だから彼らを擁護するつもりはないものの、気持ちだけは汲むことが出来るといったところだ。そしてその本音をぶちまけられる辛口サイトこそ「アリの穴」だったのである。名無しだから傍若無人も許されるというのは、いかにも「2ちゃんねる」関連サイトらしい空気だ。この先どう続けたらいいか分からないので、とりあえずこのまま放置しておくが、締め切りまで時間もあることだし、いい案が浮かんだら再開しよう。なんて言いながら最後まで更新されなかったなら、それこそ悪の極みである。そもそも生きていることそれ自体からして悪いことだと思ってきたような人間だから、いまさら悪事とか言われても数え切れない。そのような思いを抱く者は決して少なくはないだろう。特に震災以降、いっそうその傾向が強くなった。あの地獄のような状況下で、我を顧みず人助けに尽力した善人たちのエピソードが大量に報じられた。それらを知る度に自分の至らなさを咎められているような気分になって落ち込むようになった。あんなに沢山の良い人たちが死に、良いところの殆どない自分が生きていていいのだろうか。できることなら自分が代わりに死ぬべきだったのだという思いを背負いながら、のうのうと生き延びてきた歳月と共に、自己嫌悪は増大してゆく。もちろん自分の死が誰かの命を復活させるわけではないのだから、それは馬鹿げた狂人の妄想に過ぎない。せめてそういった心情をモチーフにして何か書ければと思い、このようにして悪事を重ね続けているのだ。これは被害妄想というより加害妄想ということになるが、数ある未解決事件について知るたび「犯人は私です」と自首したくなる。でも本当に犯人なわけではないから、そんな愚行を実際にしたことはない。とはいえ凶悪な事件が発生するたび、どうしても拭いきれないのは、どうして自分はその場にいて未然に事件を防ぐことが出来なかったのだろうという、実に下らないヒロイズムを持っていながら、そもそも警察や自衛隊消防団といった仕事に就くことすら怖くて出来なかったのだから、そんな英雄気取りは笑止千万である。警察や自衛隊消防団を賛美するなら、お前がそこに属せばいいのに一体どういうつもりなんだ。なんて捻くれたことを思っているからこそ、生きているだけで悪なのだ。そういう意味で古今東西の未解決事件の犯人は全て私である。なお改行をしていないのは読者への嫌がらせ。そのくらい何とも思わない。何せ悪人なのだから。ようやくここで「ありあなぽい」のことを思い出したが、もともと作ってないんだよね。ここに書いたことは全てウソ。というのもウソ。というのもウソ。(つづく?)

掌篇『地球の危機』

「やべー、寝ちゃってたよ。今23時28分。後17分しかないというのに、5人を出せって無理だよ」「でも何とかしなくちゃ地球が終ってしまうんだよ。それなのに寝坊なんて無責任にも程があるわ」「別に好きで選ばれたわけじゃないからな。さてどうするか。今二人いるよな。外は既に汚染されていて、通信手段もない」「チャネリングすればいい」「そんなオカルトなこと言われても。まあいい。時間もないから話だけ聞かせてくれ。どうすればいいんだ?」「まず寝るの。そして夢の中で意識を接続する」「起きたばかりなのに出来るわけないだろ」「柔道技で落としてあげるわ」「なるほど仕方ない。やってくれ」「じゃあ行きます。うりゃー」「ひいいいいーい。ガクッ」

「ここが夢の世界か。でもチャネリングする手段を聞き忘れたままだ。どうにもならない」「本当だよね」「お前だれだ?」「3人目さ」「良かった。あと2人」「俺が既に繋がってる奴がいるぜ」「初めまして。3人目なりー」「どうも。もしや君も誰か連れてきてないか?」「もちろんなり」「それは助かった。声を聴かせてくれ」「スイミンろぼデス。コンゴトモヨロシク」「ロボットってありなの?」「セイカクニハあんどろいどデス」「アンドロイドも夢を視るって本当なんだな。それなら大丈夫かな」「ノウニハイリコンダダケデス」「でも5人そろったことに違いはない。大丈夫だろう」「デモボク、キミヲオトシタ2リメトオナジダヨ」「足りてないわけか。くそ!」「これで地球は終わり。残念だったな」「貴様が悪の根源か。でも貴様を入れて5人だろ?」「そうだな。運が良かったね」(了)

掌篇『日焼け肌のメランコリー』1,047字「第14回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・白〉」14作品中2位※禁止文字使用により失格:無修正ホワイト露出賞

 医者から聞いた話だが、直射日光に含まれる紫外線を浴びると健康に必要な栄養素が活性化され、心身ともに丈夫になるという。そのかわり浴びすぎると皮膚ガンになりやすいため、1日10分程度に留めておくのがちょうどよいそうだ。

 なお窓ガラスは紫外線を通さないので、窓を閉めたまま部屋の中にいるだけでは効果がない。だからカーテンを閉めたまま引きこもるような人は、その環境を続けることによって更に心を蝕まれていく。外出することの少ない物書きなども同じだから、1日1回は窓を開けて日光浴をするといいだろう。

 健康のためには歩くのも大事だから、1日10分だけ散歩をする手もある。古今東西の文豪が小説の構想を練る手段として散歩を活用していたのは、身体のみならず心理状態をも強くする原理からすれば理に適っている。

 雨や曇りの日でも紫外線は届くから、とにかく太陽の出ているうちに遂げねばならない。月光は日光の反射によるものだから夜でも良さそうに思えるが、どうやら違うようだ。そこら辺は調べておく必要があるけれど、体調が芳しくないので今すぐには難しい。

 健康のためにと思って晴れの日にはずっと屋外にいたものだから、全く逆効果で疲弊している。そんなバカなことがあるのかと医者に相談してしみたら、上記のような理屈であることが分かり、これから外を歩く際には10分間だけ肌を晒し、それ以外は帽子やマスクや手袋をつけようと考えている。

 それ以前の問題として医者から猛省を促されたのは、屋外での肌の露出方法だった。日焼けすれば心の鬱屈も晴れるだろうと思いついたものの、やり方が過激すぎた。日焼けといえばサーファーなど夏のイメージが強いものの、スキーやスノーボードといったウィンタースポーツにも「雪焼け」という現象がある。

 日光が地面の雪に反射して日焼けするのだ。ゴーグルに覆われた目元以外は真っ黒になる。しかし顔だけ焼けていても心許ないので、それならばいっそ全裸で雪の中を遊ぼうと考えたのだ。しかもそれは健康のためなので、白昼堂々と露出していても言い逃れできる。種を明かせば、もともとそれは単なる性癖なのである。

 そういった次第で今後は、1日10分だけ昼間の屋外を全裸で闊歩する方向性に、なくなく切り替えねばならない。けれどもせっかく乳首まで黒焦げのワイルドなボディを得たというのに、それを見せびらかせるチャンスが減った悲しみをどうして埋めたものか。股間だけ隠す手もあるが、その部分こそが特に気に入っているのだから、如何ともしがたいのである。(了)

掌篇『アルファブロガー』779字「第14回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・紅〉」12作品中11位

 久々に更新したブログが炎上して、みるみる血の気が引いた。すっかり錆びきった心は脆くて、今にも崩れ落ちそうだ。かつてアルファブロガーと呼ばれていたせいもあって、長らくSNSばかりしている間中ずっと「ブログも書いて下さい」というメッセージが沢山の読者から届いており、それに応えただけなのにどうしてこんなことに。

 ピアニストは毎日ピアノを弾かないと下手になってしまうという。ブロガーだって長文を書き続けなければ下手になる。それで読まれなくなるだけなら何の問題もないが、自分で思っていた以上に影響力が強すぎたのだ。ブログ炎上の件は、ネットのニュースにまで書かれてしまった。記事を削除することも考えたが、乱立された「まとめサイト」を見たら既に「魚拓」がある。

「魚拓」とはウェブ上のコンテンツが削除される前に、その内容を完全にコピーして保存するサービスのこと。違法なものであれば削除依頼も出来るようだが、そこまでされているならデータとして所持している者は少なくないだろうし、いっそブログを放置する方が気楽だ。だいたいブログを辞めてしまったのは長文の執筆に飽きたからだ。もう何の未練もない。

 そんな事情から今回の記事を最後に、本ブログは更新を停止する。今まで有難うございました、とまで書いたところで手が止まってしまった。炎上した記事の内容を考えてみれば、こんな宣言を簡単にしてしまって良いとは思えないからだ。何せ「渡る世間は嘘つきばかり」と題して、記事にしてほしいとの声が引く手あまたのアルファブロガーだった故に知ることができた、企業や有名人の裏事情を暴露して炎上したのだから。

 とはいえ「渡る世間は嘘つきばかり」という思いは嘘ではない。ならば自分も嘘つきだとわかれば、その仮説は更に信憑性を増す。そのことに気づいて意気揚々と投稿ボタンを押した。さて次の記事は何にしようか。(了)

書いてなかったとは

はてなダイアリーと間違えている訳じゃなくて、普通にブログも書いたつもりでいた。新しいサービスを見つけると、とりあえず使ってみたりする性分なので。だけどブログの題名があるから、やっぱり使おうとはしたらしい。ダイアリーから移行すべきか迷っているので、またしばらく放置することになりそう。ではまた!

掌篇『3Dプリンタ2113』1,268字「第10回 てきすとぽい杯」16作品中14位

 新型ウィルスを抱えた巨大隕石の落下によって、人類以外ほとんどの動植物が死滅した。人間だけ生き残れたのは、他の生物には含まれない抗体が存在したからだ。保存食で耐え忍びながら抗体について調査してみたところ、遠い昔に火星から飛来した隕石の中に起源と思しき成分が見つかった。つまり人類の祖先は火星から来たと考えられる。

 火星には氷があるなど地球と似通った環境があるため、生物の住んでいる可能性は以前から指摘されていた。食料が枯渇しつつある状況では、そこに望みをかけるしかなかった。世界中の技術者を総動員したプロジェクトによって、昼夜の気温差の激しい火星に基地を作ることが出来た。

 そして本当に人が生きるために必要な栄養を十分に持つ動植物を発見することに成功。宇宙飛行士たちは狩りをしまくって滋養を満たし、ようやくこれで同胞を救えると安堵した。ところが困ったことに、それを地球に届ける手段がなかった。というのも火星の住民は寿命が非常に短く、死ぬと人に害を為す猛毒が全体を覆うからだ。極限にまで宇宙船の性能を高めてみたところで、火星から生物を輸送するのは困難だった。

 いっそ誰もが火星に移住してしまえたらいいのだが、距離や宇宙船の性能の問題もあり、それを実現するためには途方もない時間がかかってしまう。自ら宇宙船を作る財力を持つ一部の特権階級の中には、多くの人間を見捨てて自分たちだけ火星に逃げてしまう者どもも少なくなかった。けれど大半の人は地球で飢餓に苦しみ続けた。

 そこで活躍することとなったのは、3Dプリンタである。21世紀初頭から100年を経た今、3Dプリンタはすっかり日常的な家電として普及していた。それを火星の基地に大量に送り込み、動植物を生きたまま地球まで転送することによって、ついに人類の危機は免れることとなった。

 ただし火星でスキャンされた生き物を地球の3Dプリンタで再構築するために必須な材料が欠けていた。もともと地球にあった肉や野菜を再現するためのインクは隕石と共に使い物にならなくなっており、人体から採取する研究も試されたが抗体との相性が悪く、他の有機物を生産するには至らなかった。

 もはや絶望的な未来しか視えなくなっていたところへ、過去の遺物となってしまっていた映画のフィルムに、インクとして使える成分が見つかった。それによって無機物を発酵させると、火星からの生き物を再構築できることが分かった。無機物が発酵するというのは妙な話だが、どうやらそれは過酷な火星に生きる上で好都合だったらしい。それと同じものであれば問題なく地球上でも生きていられるのだ。

 かくして人類の存亡は意外にも3Dプリンタによって救われることとなった。だがしかし、ウィルスによって失われてしまった在来種の味や香りや風情を懐かしむ者は多く、本来の地球を取り戻すために不断の努力を続けなくてはならない。いかに自分たちの源流が他の星だったとしても、外来種たる人類の営みを支えてくれてきた大自然への恩返しは、我らの尊厳を保つためにも絶対に避けて通れない課題なのである。(了)

掌篇『最後に見たのは』1,000字「第8回 てきすとぽい杯」38作品中24位

 地面に転がり口をパクパクさせて痙攣している哀れな金魚の姿にうなされて、目が覚めた。部屋が真っ暗なので置き時計を確認すると、深夜1時だ。金魚には何の思い入れもなく、どうしてそんな夢を視たのか見当も付かない。とりあえず最後に金魚を見たのはいつだったか記憶を辿ってみると、縁日の夜に金魚すくいで手に入れた獲物をビニール袋に入れて歩いていた少年のことを思い出した。

 たいへん混雑していたため、通行人の持っていた何か鋭利なものが刺さったらしく、ビニール袋が破れて地面に落ちたのだ。何が起きたのか気付くなり少年は一緒にいた父親に助けを求めたから、わざわざ他人の僕が手を貸す必要はないと思い、金魚を踏まぬよう気を付けながら彼らの横を通り過ぎた。

 金魚が無事だったか心配ではあったものの、その程度のことで夢にまで出てくるとは思えない。しかもそれは何年も前のことだ。多分その後にも似たような状況があったに違いない。水でも飲んで頭を冷やせば思い出せるだろうとキッチンに向かおうとしたら、どうも部屋の中の様子が違う。寝室の外には廊下があり、その奥に見えるリビングの電気が点いたままだ。室内の構造やインテリアは全く違っていて、やはり自宅ではない。

 フローリングの床の上で何かが蠢いている。それは金魚だった。最後に見たどころか、今まさに目の前にいるのだ。僕と関わりのある人で金魚を飼っているのは、愛人だけなのを思い出した。彼女はリビングの奥にあるキッチンにいる。近づこうと部屋に足を踏み入れると、床に転がっているのは金魚だけではないことが分かった。

 廊下からは死角になっていて見えなかったが、誰かが倒れている。しかも頭から大量の血液を流しながら。顔を覗いてみるとそれは僕自身だった。「どうなっているんだ?」と訊いてみても返事がない。まだ夢の中なのかもしれないと思ったが、キッチンにいる愛人が洗っているものを見て、ようやく記憶が蘇った。デートの後、彼女の部屋で別れ話を切り出したところ、金魚鉢で頭を殴られたのだ。

 床にくずおれながら僕は、鉢から放り出され水分を欲してもがき苦しむ金魚を見た。それっきり気を失っていたのだろう。けれどもそれなら、何故さっき寝室にいたのか。それどころか自分で自分の姿が見えているなんて。そこでようやく気付いた。さっきの夢は金魚を最後に見た時の記憶ではなく、人生の最後に見た光景だったのだ。そして全てが途絶えた。