京極夏彦『姑獲鳥の夏』レビュー
- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/09/14
- メディア: 文庫
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妖怪が出てこない妖怪ミステリの第1弾にして、驚異の新人のデビュー作。犯人が誰かと言うよりも、関わった人間の錯覚が事件の真相を分からなくしていて、その錯覚を妖怪にたとえ陰陽師の京極堂が憑き物を落とす話。
・長文レビュー(約2,000字)
妖怪が出てこない妖怪ミステリの第1弾にして、驚異の新人のデビュー作。犯人が誰かと言うよりも、関わった人間の錯覚が事件の真相を分からなくしていて、その錯覚を妖怪にたとえ陰陽師の京極堂が憑き物を落とす話である。
書名にある「姑獲鳥」は「うぶめ」と読み「産女」と表記されることもある妖怪の名前で、出産する前に亡くなった妊婦が他人の赤子を奪ってしまう怨霊的な存在として伝えられてきた。本書ではその「姑獲鳥」を手がかりにして「二十箇月もの間子供を身籠る妊婦」の謎を解く。
まず初めに売れない幻想小説家の関口巽が、カストリ雑誌の記事として取材することになった、その妊婦をどう考えるべきか、古書店「京極堂」店主にして神主かつ陰陽師の中禅寺秋彦を訪ねる。京極堂こと中禅寺は「世の中には不思議なことなど何もないのだよ」として関口を諭す。
二人は旧知の仲で、それぞれ妻がいるものの子供はいない。更に超能力を持つ探偵の榎木津礼二郎や頑固な刑事の木場修太郎、関口の執筆する『稀譚月報』編集者で京極堂の妹・敦子らが、それぞれの方法で事件を解明しようとするが、なかなか上手くいかない。
京極堂は店番をしながら本を読んでいるのが好きなので、厄介事には関わりたくないとして、関口らの相談にはのるものの、なかなか重い腰を上げない。とはいえそれは半分ポーズで、本当は友人らのことが気がかりだったりもしていて、妖怪を介して事件を暴くため読書していたのだ。
二十箇月もの間子供を身籠る妊婦は、久遠寺(くおんじ)産科医院の院長の二女・梗子(きょうこ)で、親が産科を営んでいるのに妊婦で居続けていることから、医学的な問題ではない可能性が高い。そこでカストリ雑誌の編集者が噂を聴きつけ、関口に原稿を依頼してきたわけである。
ところが実はその梗子の夫で婿養子である牧朗(まきお)が行方不明になっていて、それで探偵や刑事まで巻き込んで何が起きているのか調べなくてはならなくなった。
けっきょく誰もどうすることもできないでいたが、探偵の榎木津だけは最初から全てを知っていた。というのも彼の持つ超能力とは、人の記憶にまつわる映像を見ることができるものだからである。しかし榎木津は頭が良くないものだから、それが見えていても他人に説明することができない。
そんなこんなで京極堂が事件に関わった全ての人間の「憑き物落とし」をすることで、いま起きている事件の全貌を関係者全員に理解させるというのが、この作品の主な流れである。だから犯人やトリックを探すのが目的というより、登場人物の「憑き物」としての勘違いを、いかにして是正するかという所に、妖怪という概念を関連づけるのが本シリーズの特徴である。
それゆえにこの先『魍魎の匣』など長編では9作品つづいてきた「百鬼夜行シリーズ」には、京極堂の妖怪に関するトリビアが大半を占めていて、本当に妖怪が出てくることはない。
そしてそれは著者に多大なる影響を与えた『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるの、「妖怪はいるといえばいるし、いないといえばいない。人間の心に棲んでいるもの」という発想に連なるものである。更に柳田國男の『妖怪談義』や小松和彦『憑霊信仰論』など、妖怪を真剣に研究してきた民俗学者らの見解を交えつつ、人間の闇を暴く媒介として妖怪を使う。
確かに京極堂は「妖怪を使って」いて、それは陰陽師の元祖・安倍晴明が得意としたとされる「使い魔」としての「式神」にも近いものである。京極堂はそれを言動のみによって実行する。それを成功させるためには「憑き物」としての錯覚や固定観念に囚われてしまっている相手の、宗教や思い込みなどを全て把握したうえで、それに沿った手法を用いなくてはならない。
だから単に犯人やトリックが分かったところで、関係者がその意味を理解していないことには、事件は終らないのである。そのことは読者である僕らにも同じであり、ストーリーだけ知っても、「百鬼夜行シリーズ」の本当の面白さは分からない。長ったらしい京極堂の説法に耳を傾けてこそ、ようやく解決するものであり、そしてそれゆえに本作は既存の新人賞の枠に収まりきれない、1,000枚以上もの分厚い小説になってしまった。それがきっかけでメフィスト賞という枚数上限のない、過去に類例のない新人賞の発足につながっていて、そこから多くの才能が見出された。
ところで最近「メンタリスト」を名乗るマジシャン「DaiGo」がテレビでひっぱりだこのようだが、彼が「人の心を読む」手法には、京極堂の「憑き物落とし」に近いところがある。ヴィジュアル系な雰囲気も京極夏彦に似ていて、もし二人の対決などあれば見てみたいと思う。
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