掌篇『宇宙的恐怖を克服するために』1,169字「第7回 てきすとぽい杯」13作品中8位

 宇宙が恐くなったのは、いつからだろう。子供の頃は宇宙への感心が高く、児童向け百科事典の宇宙に関する巻を何度も読み返していた。当時は自分の知っている世界が狭すぎて、宇宙と地球と日本列島を隔てる垣根がなかったから、おそらくそのせいで宇宙だけを特別視することがなかったんだろうと思う。けれども大人になって以降は、自分の住む国や海外の地理や歴史を熟知するようになり、外宇宙だけが人智の及ばぬ理解不能な空間として残されることとなった。

 もちろん地球に関する知識にも曖昧な点は数え切れないほどあって、それは今後も大きく減ることはないだろう。とはいえ人類の住む場所は有限であり、ジャングルや深海などといった人の暮らせない領域についても、今や大抵のことは想像できる。そういう意味では地球を含む太陽系など、宇宙の中でも身近な地点のことは分かっているため、さほど恐くはないとも言える。問題なのはそれらの星を擁する銀河系も有限なものであり、その外側には無限の何かが広がっているという、どうにも理解しがたい事実だ。すなわち宇宙的恐怖とは無限への畏怖に他ならない。

 ビッグバンによって我々の住む宇宙そして地球が生まれた。その外側には別の宇宙が存在しているらしいことも何となく分かる。ところがどこまで考えを巡らしてみても、外側の更に外側にも何かが存在していることとなり、無限という概念を否定することはできない。そしてその無限は空間のみならず時間の流れにも共通している。いや、難しい話はここまでにしておこう。どうせ僕には分かりやしないのだから。

 もっと具体的に考えてみると、高校の時は天文部員だったから、宇宙に恐怖を感じることはなかった。そうするとそれ以降に何かあったのだ。何があったのか突き詰めてみたいところだが、どうにも記憶がはっきりしない。2ちゃんねるに「宇宙こわい」というスレッドが立ち、1レス目に「超ひろい」と書かれていたことがある。稚拙なようでいて真理を突いているという点で、今やもう伝説的な書き込みといっていいだろう。それを読んだから恐くなった可能性もなくはない。

「超ひろい」つまり「無限」なのだ。けれども自分の命が有限であることもまた恐いので、何だか矛盾している。無限も有限も等しく恐いなんてことがあるだろうか。さておきこの文章を投稿するための時間も有限なので、何とかしなくてはならない。明日の選挙でどこかの政党に清き一票を投じるために必要な時間も、もちろん有限だ。もし投票期間も無限だったなら、政治は立ちゆかなくなる。けれども時間は無限なのだから、結局のところ政治は無限に続くようにも思われる。地球に残された時間は有限だけれど、時が尽きる頃には他の星にでも移住していることだろう。そこまで考えて投票したいものだが、それは余りにも難しすぎる。終わりだ。(了)