掌篇『爆睡都市』

 目が覚めたら電車の中だった。既に停車している。しこたま呑んで爆睡していたのだ。しばらく座ったまま呆けていると、発車する気配がない。どうやら終電のようだ。でも何か変な感じがする。空気が違うというか。まあ酔っ払いだし、おそらく変なのは自分の感覚の方だろう。

 意識が回復してきたところで車内を見まわしてみると、まだ大勢の乗客が残っている。事故で停まっているのかもしれない。隣の人に訊こうとしたら、眠りこけている。反対側の人も同じだ。とりあえず席を立ち車外にでようとしたら、何かにつまづいて転んでしまった。

 何が落ちていたのか確認してみると、床の上には座れなかった人たちが倒れ込んで眠っている。これは尋常じゃない。踏まないように気を付けながら運転室に向かう。運転手も眠っている。何てことだ。しかし事故らなかったのは停車後に眠りだしたせいだろうか。

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「運転手さん、終点ですよ」と全身を揺り動かしてみたら、彼は何とか目を覚ました。あくびをしながら「おはようございます」と返してきたので、まだ寝ぼけているようだ。「呑気なことを言ってる場合じゃない。ここ運転席ですよ」「本当だ。でも電車が止まっていて良かった。そういや終点だ」「電車を止めてから眠ったんですか?」「さあね?」「とにかく他の乗客を起こして下さい」「言われなくてもやります」「眠ってたくせに偉そうな」

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「お客さん、終点ですよ」「僕に言ってどうするんですか」「失敬。これも仕事ですから」そう言いながらまた眠ってしまった。再び起こそうと思ったが、態度も悪く役に立ちそうにないから、他を当たることにしよう。

 車外に出てみると、更に異様な光景が広がっていた。ホームには大勢の人々が突っ伏して眠っている。鉄道員たちも例外ではない。駅に何かが起きている。これは非常事態だ。睡眠ガスによるテロの類だろうか。このままでは僕もまた眠ってしまいそうだ。

 焦りを感じつつ改札を出ると、外も同じだった。駅前の交番に立ち寄ってみたが、出動中で誰もいない。電車の出入り口は停車時に開いていたからホームなど外も全滅だったが、自動車ならガスの被害を免れた可能性がある。そう考え車道に目をやると、所々から炎が立ち昇っている。

 クルマが事故りまくっているのだ。並んでいるタクシーを窓越しに覗いてみると運転手も眠っている。窓を閉めていても駄目だったらしい。居眠り運転のクルマが一斉に衝突したのだろう。

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 街全体がテロにあったのだとすれば、一般人の力ではどうしようもない。110番にかけるしかないと考え、ポケットにしまったはずのケータイを探したが見つからない。泥酔していたから落としたのか、それとも寝ているうちにスリにあったのか。困り果てていると事故車の群れの中にパトカーを見つけた。

 窓を叩いてみたが反応がない。近くにあったポールを引き抜いて窓ガラスを割り、そこから手を入れて鍵を開けた。そして直に起こそうとしたが、警官の寝息がない。寝ているのではなく死んでいるのだ。まあ交通事故だから仕方ないよな。

 そんなこと言ってる場合じゃない。僕が目を覚ましたのなら、他にも起こせる者がいるかもしれない。そこで誰彼かまわず試してみたが、上手くいかない。そうこうしているうちにまた睡魔が襲ってきた。

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「お客さん、終点ですよ」そう声をかけられて目を覚ました。ぼんやりしたまま記憶を辿り「酷い夢を視たものだ」と安堵するも、その安息は悪夢と何ら変わらぬ光景によって即座に打ち消された。街中で覚醒している者は他に誰一人なく、居眠り運転に起因する交通事故の多発で車道は焦土と化している。

 のみならず多くの建物が燃えているのは、火器の不始末によるものだろう。深夜とはいえ、都心から長距離帰宅してきた住人の就寝時刻には、まだ早い。彼らを相手にする飲食店の厨房が火元となり、それが燃え移ったのだろう。まるで大空襲を受けた後のようだ。もはや何をすればいいのかすら分からない。それにしてもどうして自分だけ起きているのか。ようやく不可解な点に気づいた。

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「お客さん、終点ですよ」と言ったのは誰か。そもそも電車の中で一人だけ目覚めた時にも、それと同じ言葉を聞いた気がする。しかし運転手は運転室で眠っていたし、自分が座っていたのは座席の真ん中だったから、ホームにいた鉄道員とも考えにくい。とにかく今は声の持ち主を探すしかない。とはいえ何の手がかりもない状況では動きようがない。方法を考えあぐねている内、再び眠りに落ちていった。

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「お客さん、終点ですよ」そう声をかけられて目を覚ました。いつの間にか電車の中にいる。しかも普段と何の変わりもない普通の車内だ。長い夢を視ていただけだったんだな。泥酔していたせいだろう。仕事が絶不調なもんで、ストレスが溜まっていて。クビを免れるためにも、せめて明日も早く出社しないといけないのに。

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「お客さん、終点ですよ」そう声をかけられて目を覚ました。すると今度は焦土の中だ。夢を現実と混同していただけだった。でも本当にそうなのだろうか。頬をつねって確認してみると、全く痛くない。古典的な手法ではあるが、信じるよりないだろう。多分まだ夢の中なのだ。

 いつの間にか体が浮上していることに気づいた。飛ぶ夢は久しぶりなので嬉しくなってきた。しかし意思の自由は効かず、高度ばかり上がっていく。こんなのは初めてだ。どんどん街が遠のいて、日本列島や地球も越えて、見知らぬ場所で止まった。誰か近づいて来る。

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「お客さん、終点ですよ」そう声をかけられて目を覚ました。と思いきや、今度は起きたままだ。どういうカラクリだろうか。そこで気が付いた。この声は何度も聞かされ続けてきたものに間違いない。駅前の惨状を思い出して怖くなった。普通の人間ではあるまい。正体を探ろうと顔を見たら、自分にソックリで驚いた。

ドッペルゲンガーですよ」「聞いたことがある。会うと死ぬとか」「正確には死ぬと会えるんだけどね。いわゆる死神さ」つまり「人生の終点」という意味だったのか。それにしても繰り返し聞かされていたのが、まさか自分の声だったとは。そういや録音すると違って聞こえたりするもんな。

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 周囲はボンヤリしていて、もう一人の自分以外には何も見えない。「ここは天国、それとも地獄?」「さあね?」はぐらかされて嫌な気分になったが、相手も自分なので怒るのも気が引ける。それから何の変化もないので、暇つぶしに世間話でもしてみると、非常に馬が合って楽しい。自分同士だから当然か。

 そしてそのまま今に至る。こんなことでいいのか悩ましいけれど、生前のストレスは跡形もなく消え失せていた。それに自問自答から繰り出される発想は、自分自身からすれば面白いものばかりだ。ただそれのみと戯れる時間が無限に続く心地よさ。案外これは天国なのかもしれない。(了)