掌篇『最後に見たのは』1,000字「第8回 てきすとぽい杯」38作品中24位

 地面に転がり口をパクパクさせて痙攣している哀れな金魚の姿にうなされて、目が覚めた。部屋が真っ暗なので置き時計を確認すると、深夜1時だ。金魚には何の思い入れもなく、どうしてそんな夢を視たのか見当も付かない。とりあえず最後に金魚を見たのはいつだったか記憶を辿ってみると、縁日の夜に金魚すくいで手に入れた獲物をビニール袋に入れて歩いていた少年のことを思い出した。

 たいへん混雑していたため、通行人の持っていた何か鋭利なものが刺さったらしく、ビニール袋が破れて地面に落ちたのだ。何が起きたのか気付くなり少年は一緒にいた父親に助けを求めたから、わざわざ他人の僕が手を貸す必要はないと思い、金魚を踏まぬよう気を付けながら彼らの横を通り過ぎた。

 金魚が無事だったか心配ではあったものの、その程度のことで夢にまで出てくるとは思えない。しかもそれは何年も前のことだ。多分その後にも似たような状況があったに違いない。水でも飲んで頭を冷やせば思い出せるだろうとキッチンに向かおうとしたら、どうも部屋の中の様子が違う。寝室の外には廊下があり、その奥に見えるリビングの電気が点いたままだ。室内の構造やインテリアは全く違っていて、やはり自宅ではない。

 フローリングの床の上で何かが蠢いている。それは金魚だった。最後に見たどころか、今まさに目の前にいるのだ。僕と関わりのある人で金魚を飼っているのは、愛人だけなのを思い出した。彼女はリビングの奥にあるキッチンにいる。近づこうと部屋に足を踏み入れると、床に転がっているのは金魚だけではないことが分かった。

 廊下からは死角になっていて見えなかったが、誰かが倒れている。しかも頭から大量の血液を流しながら。顔を覗いてみるとそれは僕自身だった。「どうなっているんだ?」と訊いてみても返事がない。まだ夢の中なのかもしれないと思ったが、キッチンにいる愛人が洗っているものを見て、ようやく記憶が蘇った。デートの後、彼女の部屋で別れ話を切り出したところ、金魚鉢で頭を殴られたのだ。

 床にくずおれながら僕は、鉢から放り出され水分を欲してもがき苦しむ金魚を見た。それっきり気を失っていたのだろう。けれどもそれなら、何故さっき寝室にいたのか。それどころか自分で自分の姿が見えているなんて。そこでようやく気付いた。さっきの夢は金魚を最後に見た時の記憶ではなく、人生の最後に見た光景だったのだ。そして全てが途絶えた。